昭和52年11月20日 特別奉修委員



 先日、先だってのことでしたけど、何時も床屋さんが月曜の休みの日に来てくれるんです。ところが前の、私は何時も床屋さんが来てくれる前に、髭を剃っとったんじゃ気の毒じゃと思うてね。何時もは髭をためとくわけです。ところが月曜の日に来てくれませんも。それからまたその日、お風呂入ってから、剃ってもらおうかと思うた、髭だけでもあたってもらおうかと思ったけど、また明日どん来るんじゃでけんと思うてから、辛抱しとりました。したら明くる日やってきました。
 それで「昨日あんた、まあ髭剃ろうかと思たばってん、あんたがなんじゃけん、それなとっといたばい」ち言おうかと思ったばってん、言いませんでした。まあ言うなら恩きせることになりますよね。そしたら頭あたりながら「昨日あなたもう、組合の慰安会かなんかで腹ずるに行っとりました。それで昨日は御無礼しました」とこう言う訳なんですけれども、本当にもう例えばちょっとした事でも、やっぱ責める事になりますからね、そりゃもう向こうに、大した責めでもないです。「ああどうもすんません。
 昨日はこうでした。」とまあ向こうも言いましょうけども、それを言わずに向こうにね、まあ何とも言えんスンナリとした、生き方というものがね、今あのう秋山さんからそっと同じようなことを、聞かせて頂いたんですけれども、もう本当にあのう、信心しとるけんと言うて、ギスギスしたようなね信心じゃなくて、もうスンナリと分からん内に、相手も責めずまた自分自身も有難いなあと思えれるようなね生き方を、いよいよ身に付けたいとこう思います。
 この頃から、この前の花が皆さんもご承知のように、白のユリばっかりをね、たくさんこう入れてました。それで、まあ色々ごちゃごちゃ入れておりましたから、私が「白のユリばっかりの方が良かばい」と言うてから、白のユリだけにさせましたんですけれども、以前親先生が、白の花ばっかりの時には、必ず誰かがお国替えした。というようなお届けが必ずあるということ。
 また実際そうでもありましたし、昔、白玉ポートワインが来ると、もう必ず誰かが亡くなりましたしね、それでもそれば言うもんですから、だあれもこの頃白玉ポートワインをお供えせんごとなりました。それから花でもそうです。もう白い花は親先生が好きなさらんけんで、というようなことになっておるなら、ですからそういうところも、おかげで卒業して、そんなことはもう神様のそんなにも間違いのない微妙な働きというものを分かったら後はどうでも良い。
 そのどうでも良いというところに、スンナリした信心があるようですね。どうでも一つ、言わば、美登里会の方たちは、その、非常に強い。だから、まあ合楽の魔女たちと言われるような時代があってね。もう本当に、もうそこは卒業してね。強いのじゃない、もう優しくて、そして芯があって、やはり力量があって、それこそ何とも言えん、まあスンナリした信心が、それも素晴らしいですね。
 例えば合楽の魔女たちと言われるくらいに、なんか強引なところが出てくるわけですね。どうしても。がむしゃらな信心、その辺の処がもう一つ、神様の働きのこんなにも間違いのないということを、分からせて頂いたらその次にはね、もうそれこそどうでも良いと言ったような、それでいて有難い。それでいて自分も、真に有難いものが感じられるというような信心に、だんだんなって行かなきゃいけんと思うですね。
   どうぞ。